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2007年9月19日 (水)

詭弁論理学

昔、講談社現代新書のうそとパラドックスを読んで論理学に興味を持ちました。大学でも記号論理学の講義を受けました・・・難しくてよく分らなかったけど。とにかく、論理が人生を幸せにしてくれると思っていました。

しかし、言うまでもなく(?)、論理は人生を幸せにしてくれるわけではありません。人は論理的でありたいと思う一方、論理的だから幸せな人生を歩めるとは限らないということを知っています。

そんなわけで、「論より詭弁」は正にそうだよなぁ、と思わせる本でした。「みなさん、いままで論理的に考えてきて、何かトクしたことありますか?」という帯のフレーズに惹かれて読み始めたのですが、この本の主張は、議論で交わされる内容、論理的な意味だけでは人は説得できなくて、議論する人々の力関係や表現の仕方が重要だという、日々調整や交渉をする人々(=ほとんどの人々)にとっては、ある意味当たり前のことでした。内容とはちょっとずれますが、世の中には修辞学という学問があるという事に感心しました。ディベートなんてのが流行りましたが、議論を専門にする学問って昔からあったのですね。むしろ、ガリレオ以前は科学といえば議論することしかなかったわけだから、当然議論を専門とする学問があると推測するべきでした。

そんな「論より詭弁」でも一部(やや否定的に)引用されていたのが野崎昭弘「詭弁論理学」です。作者が冒頭で述べている、論理的な思考をすることが専門でありながら、実際の議論では「議論上手」な人によってやり込められてしまうことを悔しく思っているという部分に、ワタクシは激しく共感してしまいました。そんなわけで、「議論上手」な人の詭弁を分類、分析してみせる、本書の前半部分は興味深く読むことができました。後半からは記号論理学の話になってきてちょっと残念。もっと詭弁への対抗策を書いて欲しかった。

「論より詭弁」も「詭弁論理学」も、論理が実際の議論ではあまり役に立たないという点においては意見が一致しています。ただし、主張している方向性は全く違っていて、「論より詭弁」が「そもそも議論というものにおいて、論理はあまり重要ではない。むしろレトリックが大事だ」と主張しているのに対して、「詭弁論理学」は、「議論上手の詭弁を分析することで、論理的な思考を用いて議論に勝つことができるかもしれない」と主張しています。

議論において重要なことは、議論の目標を明確にすること、お互いの立場・関係性を正しく理解すること、相手の性格を理解すること、上手な表現を使うこと、(必要ならば)論理的であること、です。議論の結果として参加者の共通理解を得るために論理は重要ですが、利害が対立するもの同士が共通の理解に達することは難しく、そこで大事になるのは必ずしも論理だけではないでしょう。

議論で幸せになるためのヒントとしてどうぞ。

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